佐世保簡易裁判所 昭和34年(ろ)289号 判決 1959年11月19日
被告人 富永豊二
明四五・一・五生 自動車運転者
主文
被告人は無罪
理由
一、本件公訴事実の要旨
別紙起訴状公訴事実の通り。
二、本件事故直前の状況
本件事故直前の模様について被告人は司法警察職員に対する供述調書に於て「私が運転する西肥バス(以下被告人の車と略称する)が桜馬場停留所を発車するときお客さんは六十人位乗つていた。次の猫山入口停留所では乗降するお客さんが無かつたので停車せず時速二十五粁から三十粁足らずの速度で進行して衝突場所近くに来た。その時進行方向(早岐方面)から西肥バス(以下単に西肥バスと称する)と長崎バス(以下単に長崎バスと称する)の二台が私の車と対向して進行してくるのを認めた。私が最初見たときは西肥バスを長崎バスが追越そうとして西肥バスの右側後端附近に長崎バスの前部が並んでいるときでした。長崎バスは相当に速度を上げて私の車の前方三十米位の所で一気に西肥バスを追越し、追越すと同時にハンドルを左に切つて私の車の右側に寄つてアツと言う間に私の車と離合した。その附近の道路は全巾員が八米位あるので大型旅客自動車の離合に別に困難とか危険を伴うと言うようなことはありませんが、又さほど余裕もなくもし自転車等が一台でも通つておれば何れかの車が譲らねばならない位です。私は長崎バスがスピードを上げて追越すのを見て自分の運転する車の速度を落しできるだけ道路の左側によつてその長崎バスの動きに十分注意して進行した。そのときの速度は時速二十五粁足らずであつたと思う。長崎バスと離合した直後追越された西肥バスと再び離合することになつたので私は時速二十五粁位のまま道路左側によつて進行し対向する西肥バスと私の車が殆どその前部を交さする直前に、その西肥バスの後方から衝突した相手である永磯の運転する軽自動車(以下単に永磯の車と称する)が物凄い速度で走り出て来た。」と述べ各証拠によりほぼ右の事実を認めることが出来る。
三、ところで追越、離合の時の長崎バスの速度は「物凄い速度」「出すなあ」等と言つたところで「五十粁」「四十五粁」という者もあり、更には検察官の実況見分調書から被告人の車、長崎バスの各同時間の進行距離を見れば(被告人の車がF―E―15米を進行する間に長崎バスはニ―ホ―57米進行していることになつている。但しこれは少し割引かねばならないかも知れないが)長崎バスは右五十粁より高速であつたと考えられる。
次に西肥バスを追越そうとした永磯の車の運転方法及び速度等は追越しの合図もせず前方を確めることなく違法速度でいきなり飛出すように進行したもので、兎に角無謀の一語につき右のような高速の長崎バスに追従していること、スリツプ痕の長さ、更に物凄い音を立てて衝突して停車していることからみて所謂カミナリ運転であることは容易に想像ができる。(尚永磯の車のスリツプ痕から判断するその車の速度は検察官に於て答弁も立証もない)
一方被告人の車の運転方法及び本件事故の原因については、被告人は長崎バスと離合するため速度を落して二十五粁位にし、長崎バスに注意を向けて離合しその後方の西肥バスと離合するため注意をこれに移した瞬間、永磯の車が右のような速度で被告人の車の前方十数米の所へ飛出して走つて来たので、乗客多数を乗せているバスの運転手たる被告人としては、突嗟のことながら急停車による乗客の負傷をも考え最善の停車措置をとつたが、永磯の車の無謀な運転と更に不幸にも永磯の車の左斜前近くには西肥バスが進行中であつたため(もしそうでなければ永磯は横転してでも左へハンドルを切つたであろう)永磯としても左へ方向転換もできないまま衝突してしまつた。
四、検察官は永磯の車が前車の西肥バスを追越すため道路中央附近に進出した地点につきスリツプ痕の長さ及び直線状であること等からして急角度で進出したものではなく、相当後方より進出した旨述べるが、スリツプ痕の長さは高速を直線状という型態は左斜前横に西肥バスが進行していたことを物語るにとどまり、スリツプ痕の直線状態及び長さから直ちに大分手前から中央に進出したとも言えず、いくら永磯でも前方三十米位の所に対面してくる被告人の車があるのに敢えて西肥バスを追越す気持を起したかどうかは疑問であり、二輪自動車が相当な高速で運転者が上体及び車を倒すように斜にして急角度に器用に又得意顔に方向を換えて前車を追越していることは吾人の屡々目撃し甚だしく不快と危険を感じているところであるが、このようなことから考え本件の場合永磯はスリツプ痕のはじまる少し手前から相当な急角度に道路中央附近に進出したとみるべきであろう。
五、検察官主張の過失の点に付いて、
西肥バスの後方を注意する義務については言うまでもないけれども、本件の永磯のような所謂カミナリが飛出してくることは到底予想できないことであり、長崎バス、西肥バスと離合する場合の道路の巾員に応じた減速義務については被告人はその通り実行しており、永磯の車を発見すること及び急停車の措置をとることがおくれたとする点については永磯の車は右のように急に飛出して来たのであつて被告人の発見がおくれたわけでもなく(被告人や関係人に於て発見がおくれたと供述する点は到底信用できない)急停車の措置がおくれた点は被告人としてはその時その場所での最善を尽しているのである。
六、結局本件は被告人の車が長崎バスと離合する際停車するか五粁位の低速で動いておれば別として(本件運転手に右のような義務はない)それ位以上の速度である限り仮に中央進出と同時に発見して急停車の措置を講じたとしてもやはりこの事故が避け難いものであることは諸般の事情からも又大音響で衝突したため永磯の車が停車したことからも容易に考えるわけで、被告人に過失はなく犯罪の証明がないので刑事訴訟法第三百三十六条に則り無罪の言渡をする。
よつて主文の通り判決する。
(裁判官 林繁)
公訴事実
被告人は旅客自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三十三年五月十日午前九時五十六分頃佐世保市大野町西肥自動車株式会社大野営業所前より西肥バス長崎二―七二四七号大型旅客自動車を運転し、同日午前十時半頃時速二十五粁乃至三十粁位の速度で佐世保市黒髪町六千八百九十九番地西本寛吉方前道路より約三十五米手前に差しかゝつた際前方約七、八十米の地点から前を西肥バス、後附近を長崎バスが前車を追越そうとして被告人側から見て左側に進出しつつ進行してくるのを認めたので被告人は速度を二十四、五粁に減速するとともに道路左側に寄つて両車とすれ違おうとし、続いて前方三十米附近に於て猛スピードで長崎バスが西肥バスを追越したものであるが、かゝる場合離合車の後方等から他の車が追随してくることが予想せられるので、自動車運転の業務に従事するものは同所は巾員約六・三五米の狭い道路であるから之に備えて万全を期し充分前方を注視して速力を減じ、何時にても衝突を回避し又は急停車の措置を講じうる態勢の下に進行する等適宜の方法を以て危害の発生を未然に防止する業務上の注意義務があるのに不注意にも之を怠りそのまゝ進行して先頭の西肥バスを約四十粁の速度で追越し前進してきた長崎バスを離合し続いて追越されて前進してきた西肥バスと離合せんとしたが、被告人は右二台のバスと離合することのみに気を奪われ、更に之に続いて二台目の西肥バスの後方から永磯利彦が軽自動二輪車に乗車し追随して前進することに気付かず右二台目の西肥バスと離合した直後初めて前方約十三米から制動しながら被告人の進路前方に進出してきたのを発見し、同車の発見がおくれたのと狼狽して急停車の措置の時機を失しその措置が遅れ同人の軽自動二輪車の前部に被告人の大型旅客自動車前照灯附近を衝突せしめて同車を約三米押返して右永磯を路面に顛倒させ因て同人に対し頭蓋底骨折、顔面挫創傷、右伝音性難聴(外傷性)により治療八十日位を要する傷害を負わせたものである。